内部通報がない会社は、本当に健全なのか? 日本の調査と約199万件の通報データから考える「沈黙」の読み方
「今年の内部通報はありませんでした」。この一文を、組織が健全である証拠として受け取ってよいだろうか。
問題が少なかった可能性はある。しかし、窓口を知らなかった、相談しても変わらないと思った、誰が話したか知られるのを恐れた、という可能性も残る。件数だけでは、この違いを判別できない。
通報制度を評価するには、入口を用意したことと、実際に使えることを分けて見る必要がある。
この記事の目次
件数が多い会社を、悪い会社と決められない
StubbenとWelchの2020年の研究は、米国上場企業1,135社に寄せられた約199万件の内部通報データを分析した。窓口の利用が活発な企業ほど、その後の訴訟や政府の制裁金に関する指標が低いという関連を報告している。データは通報システム事業者NAVEX Globalから提供された。Stubben & Welch, Journal of Accounting Research
観察データなので、通報件数を増やせば訴訟が減ると断定はできない。経営の質など、両方に影響する要因も考えられる。また、人事上の問題なども含む米国企業のデータを、日本の法令上の公益通報と同一視してはいけない。それでも、件数の多さを単純な悪材料とする見方は慎重に扱うべきだ。
制度への賛成と、実際の相談には距離がある
消費者庁の2025年1月の検討会報告書は、調査に基づき、勤務先の内部通報窓口の認知や制度の理解に課題があることを整理している。制度がある企業でも、従業員の側から使える状態になっているとは限らない。消費者庁・公益通報者保護制度検討会報告書
加えて、「問題があれば通報する」と答えることと、現実に通報することは同じではない。Mesmer-MagnusとViswesvaranのメタ分析は、26標本を統合し、通報の意図と実際の行動では関連する要因の強さが異なると報告した。研修後の意識調査だけで、現実の相談が可能になったと判断するのは早い。Mesmer-Magnus & Viswesvaran, 2005
この研究は古く、制度や職場環境の違いもある。現在の日本で何%の人が沈黙するかを示す数字としては使えない。一方、意図と行動を区別する必要性は、制度の評価方法を考える手がかりになる。
「安心して話してください」を、手順に変える
日本の調査にも、会社が当然だと思っていることと、従業員に伝わっていることのずれが見える。消費者庁の2024年の実態調査概要では、従業員数300人超の非上場企業のうち、通報を理由とする不利益取扱いの禁止を周知していないと答えた309者について、その理由の44%が「当然のことであり、あえて周知する必要性を感じていない」だった。これは全企業の44%ではなく、該当する回答者に限った数字である。消費者庁・民間事業者の内部通報対応、図14
会社側が報復を認めないつもりでも、相談を考えている人にはそれが分からない場合がある。この調査は周知すれば通報が増えるという因果を示してはいない。しかし、「当然だから説明不要」という会社側の判断が、制度の使いやすさと一致するとは限らないことを考えさせる。
以下は研究と公的資料を踏まえた運用上の提案である。従業員が相談を考える場面を想定し、実際の案内を読んでみる。
上司が相談の対象だった場合、別の経路を選べるか。送信した情報を誰が見るか分かるか。受け付けられたことを確認できるか。結論が出るまでに時間がかかる場合、連絡の予定が分かるか。
匿名受付という言葉だけで、相談者の懸念が解消するとは限らない。少人数しか知らない出来事なら、内容から人物が推測される可能性がある。そこで「絶対に特定されない」と約束するより、情報を扱う範囲や、不利益を受けたと感じた場合の相談経路を具体化する方が誠実だ。
ただし、調査対象者の情報や証拠を、相談者へすべて返せるわけではない。連絡できる範囲とできない範囲を説明し、何も返事がない状態を減らす設計が考えられる。
評価するのは、声が上がった後まで
通報件数を読む際には、件数が生まれる過程を分けると分かりやすい。問題が存在し、誰かが気づき、その人が相談先を知り、相談を選び、窓口が記録する。これは統計モデルではなく、解釈のための整理である。どの段階が変わっても、最終的な件数は変わり得る。
- 問題がある
- 誰かが気づく
- 相談先を知る
- 相談を選ぶ
- 窓口が記録する
問題が増えたのか、以前の問題が見えるようになったのか。
是正が進んだのか、相談が萎縮しているのか。
本文の解釈の整理。統計モデルや法令上の手順ではありません。件数だけで健全さを判断せず、認知・受付後の連絡・是正・再発も確認します。
例えば、制度周知の直後に過去の出来事の相談が増えた場合、直近の職場環境が急に悪化したとは限らない。一方、同じ部署から同じ問題の相談が繰り返されるなら、受付が機能していても是正が十分でない可能性がある。入口の改善と、問題の解消は別々に評価したい。
件数の比較では、従業員数、対象期間、受付範囲もそろえる必要がある。相談を広く受け付ける窓口と、特定の違反だけを数える窓口では、同じ100件の意味が違う。一つの出来事に複数人から通報があった場合も、通報数と事案数を区別しないと状況を読み違える。
件数に加え、窓口の認知、受付後の連絡、調査の滞留、是正の実施、再発の状況を追いたい。単純な処理速度だけを目標にすると、丁寧な調査が必要な案件まで早く閉じる誘因になり得るため、内容と合わせて見る。
制度の周知後に件数が増えた場合も、悪化とも改善とも即断しない。以前から存在した問題が見えるようになったのか、新しい問題が増えたのかを調べる。逆に、件数が減った場合には、是正の成果と相談の萎縮を見分ける必要がある。
「処理済み」が増えても、改善したとは限らない
架空の例として、窓口の月次報告が「10件受け付け、10件処理済み」だったとする。事実を確認し、必要な是正まで終えたのか。別部署へ転送して受付上の処理を終えただけなのか。根拠を確認できず調査を終了したのか。同じ数字でも状態は違う。
そこで、受付、調査、判断、是正、是正後の確認を区別する。すべての事案に同じ調査を要求するのではなく、どこまで進んだかを誤解なく把握するためである。「確認できなかった」という結果も、「虚偽だった」と直ちに読み替えるべきではない。証拠が残っていないなど、別の説明があり得るからだ。
また、通報があったという理由だけで対象者を有罪視してもいけない。相談者が不利益を受けない運用と、対象者の説明や証拠を丁寧に確かめる運用は、両方必要になる。調査を公平に行うことは、制度への信頼を守るうえでも大切だ。
経営向けの報告では、個別の生々しい事情を広く共有するより、反復している問題、是正が止まる理由、必要な資源や意思決定を示したい。少人数部署の詳細な内訳など、人物を推測させる情報は共有範囲を慎重に決める。透明性を高めることと、個人情報を広く流すことは同じではない。
管理職が点検すべき三つの場面
まず、社員が相談先を探す場面を見る。規程のどこかに書いてあるだけでなく、日常使う社内ページからたどり着けるか。上司が関係する問題でも使える経路が示されているかを確かめる。
次に、相談した後の場面を見る。返事がなく不安になる期間や、途中経過を尋ねる方法が不明な状態を放置していないか。すぐに結論を約束するより、次に連絡する目安を守り、遅れる場合に説明する方が現実的な場合もある。
最後に、是正後を見る。規程や研修を追加したことだけを成果にせず、問題を生んだ業務上の圧力や責任の曖昧さが変わったかを確かめる。件数の削減を担当部署の目標にする前に、相談の入口を狭める誘因にならないかも考えたい。
内部通報ゼロという報告を受けたら、次に尋ねたいのは「問題に気づいた人が、どこへ相談すればよいか説明できますか」である。そして、相談された後に何が起きるかまで答えられてこそ、制度を用意したという説明に実体が伴う。